会社が変化に適応し業務改革を推進する為には「属人的業務(仕事)」(その人しかできない仕事)を排除することが必要です。しかし、(偶に体験することですが)、優秀な人財に部下を配置しても優秀な人財が部下を育てようとしない為、部下が成長すること(部下が仕事を体験し練度を上げること)が出来ず、結果的に「属人的な業務(仕事)」が発生していることがあります。そして、このような事態を防ぐには業務のマニュアル化・標準化を図るだけでなく、常日頃から多能工化等を図ることで代替可能な人財育成に努めておくことが必要(リスク管理)と言われていますが、それらだけでは部下は代替要員に過ぎず不十分ではないかと私は考えます。
さて、人に何かを教え育てるときの有名な言葉に名将:山本五十六翁の言葉に「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は育たない」というのがあります。私もこの名言には同感するのですが、言外の意味にも留意することが必要ではないかと考える処です。「やって見せ」は「上司が部下に模範となる業務をやって見せるコト」、「言って聞かせて」は「何を、どういう手順でやるか教えるコト」は言葉通りで良いのではないかと思いますが、「させてみて」と「褒めてやらねば」に言外の解釈が必要ではないかと考える処です。
ところで「成功から学べるコトは何もない」「賢人は歴史から学び、凡人は失敗から学び、愚人は失敗したことを忘れる」という名言もありますが、私は自分の体験からこれらの名言はもっともなコトだと考えます。部下に何かを教えても、部下は分かったつもりになるだけで本当のコトや本質的なコトは理解してない場合が多く、ましてや理解したつもりになっているだけで練度は低い状態にあります。人間(凡人)は幾たびかの軽い失敗を通じて初めて本当のコトや本質的なコトを理解し始めることが出来るようになるのではないでしょうか?
その為、前記の「させてみて」は「部下に自分一人でやらせること(この間に上司は口出ししない)」「それを上司が観察すること(「見る」ではなく「観る・診る」)」を意味し、「褒めてやらねば」は「結果のうち3点は褒めて1点の改善すべき点を指導する」という意味ではないかと思います。「言って聞かせた(教えた)」後は部下のやること・やり方を放任するのではなく上司が「部下のやること・やり方を観察・診断」すること、「褒めてやる」とは部下本人は分かっているつもりになっていても部下はまだ練度が低いのだから「良い点を認めながら指導」することではないかと思います。そうすると、「部下を育てる」為には「観察」「診断」「指導」する時間が上司に必要となり、部下を育成している間の上司個人の生産性は通常時より低くならざるを得なくなります。その結果、優秀な人財の中でも自分の生産性が低くなることを嫌う人は部下を育てることに時間を費やすことを忌避し、結果としてその人にしかできない「属人的業務(仕事)」を生み出すことになってしまいます。また、これも昔しから言われていることですが「人手が足らないという上司に部下をつけてはいけない。部下を育てるのが上手い上司に部下をつけるべきだ。人手が足らないという上司は仕事の工夫・改善が出来てないことが多く、人を育てることができないから部下がいまで経っても成長しない」と言われています。
そうすると、部下を育成する為の手段を予め会社が準備しておいた方が望ましいのではないでしょうか? 部下を持つ上司となったならば、上司個人の生産性よりもチーム全体(課・部門)の生産性をMaxにすることが上司にとって一番大切な業務(仕事)なのではないでしょうか? そして、その手段とは「簡易型の評価制度」ではないかと私は思います。変化が激しく公私ともに多忙なため上司と部下がコミュニケーションする機会が減った昨今では、上司が部下を観察・診断し簡易型評価表を用いて部下とコミュニケーションすることが部下を育成することを通じて属人的業務(仕事)の発生を防止し、会社が変化に適応し業務改革を実行する基礎になるのではないかと考えます。